秋の行楽は浅草へ<東京ならば金竜山浅草寺> [キャラのよちよち歩き]
春は緊急事態宣言で花見も5月の大型連休も家に閉じこもっていたため、2020年の思い出が何もないまま終わりそうでしたので、秋の行楽に出かけました。
といっても遠出は難しいので、週末だけ、都心に小旅行です。子供達は「浅草デビュー」です。
今年は御酉様も入場制限されてしまう事態となっていますので、気を付けてなるべくオープンエアな場所を選びました。
まずは、尾張屋さんに行って、お蕎麦です。言わずと知れた浅草・雷門通りのお蕎麦屋さんです。その昔、文人たちが通ったというお店です。今でもサービスレベルが高く、子供達も楽しくお蕎麦をいただくことができました。
次は浅草寺の裏にある「浅草花やしき」に行って、あまり並ばずに楽しめるアトラクションを満喫しました。
浅草花やしきは1853年(嘉永6年)に開園した日本最初の遊園地です。
残念ながら戦中取り壊され、戦後に再建・再開された経緯があるため、現存する(つまり継続して存在する)遊園地としては日本最古ではないらしいです。
国産初、日本で現存最古のローラーコースター(1953年~)があり、実は今回これに乗りたかったのですが、残念ながら強風のため「運休」でした。
他にも意外とスピードの出る乗り物もあったりして、結構楽しめました。
もちろん浅草らしい雰囲気を出している射的や輪投げなどもあって、それらも楽しみました。
暗くなって浅草寺を見に行きました。境内からは東京スカイツリーも見えます。
本堂、五重塔などはきれいにライトアップされています。お参りもしました。
お昼がお蕎麦だったのに、ディナーはパスタとピザがいいということになり、イタリア料理屋へ。
浅草は文化の先進地域として明治以降いち早く様々なものを取りこんできた歴史があり、おいしい洋食屋さんも結構あります。すき焼きの今半の本店も浅草にありますし、日本初のバーと言われる神谷バーも浅草にあります。
食べ終わって宿に戻る時にスカイツリーと「筋斗雲」とお月様が一緒に見られました。(来年はいいことがあるぞ!)
2020/11/28<晴>
といっても遠出は難しいので、週末だけ、都心に小旅行です。子供達は「浅草デビュー」です。
今年は御酉様も入場制限されてしまう事態となっていますので、気を付けてなるべくオープンエアな場所を選びました。
まずは、尾張屋さんに行って、お蕎麦です。言わずと知れた浅草・雷門通りのお蕎麦屋さんです。その昔、文人たちが通ったというお店です。今でもサービスレベルが高く、子供達も楽しくお蕎麦をいただくことができました。
次は浅草寺の裏にある「浅草花やしき」に行って、あまり並ばずに楽しめるアトラクションを満喫しました。
浅草花やしきは1853年(嘉永6年)に開園した日本最初の遊園地です。
残念ながら戦中取り壊され、戦後に再建・再開された経緯があるため、現存する(つまり継続して存在する)遊園地としては日本最古ではないらしいです。
国産初、日本で現存最古のローラーコースター(1953年~)があり、実は今回これに乗りたかったのですが、残念ながら強風のため「運休」でした。
他にも意外とスピードの出る乗り物もあったりして、結構楽しめました。
もちろん浅草らしい雰囲気を出している射的や輪投げなどもあって、それらも楽しみました。
暗くなって浅草寺を見に行きました。境内からは東京スカイツリーも見えます。
本堂、五重塔などはきれいにライトアップされています。お参りもしました。
お昼がお蕎麦だったのに、ディナーはパスタとピザがいいということになり、イタリア料理屋へ。
浅草は文化の先進地域として明治以降いち早く様々なものを取りこんできた歴史があり、おいしい洋食屋さんも結構あります。すき焼きの今半の本店も浅草にありますし、日本初のバーと言われる神谷バーも浅草にあります。
食べ終わって宿に戻る時にスカイツリーと「筋斗雲」とお月様が一緒に見られました。(来年はいいことがあるぞ!)
2020/11/28<晴>
白洲次郎のポルシェ911<68S> [研究日誌]
異色の政治家、実業家として有名な白洲次郎。
戦前から戦後、高度成長期まで活躍した人ですが、彼を有名にしたのは戦後の進駐軍の占領下での吉田茂の右腕としての国家間交渉での活躍でしょう。
車好きの間では80才でもポルシェ911に乗っていたことがかなり有名なエピソードですね。
しかし、どんな911に乗っていたのか、正確に知っている人は少ないかもしれません。というのも、80才だとしたら、ポルシェ911もボディが既に930型に移行していました。
初期の2.0リッター(初期の細身の901型は日本では「ナロー」と呼ばれる)から3.3リッターのターボまでのいずれでもおかしくないです。
私が彼が911に寄っかかっている写真を見て、ドアミラーの形、ワイパーの取り付け位置、ライトの形を見て、なるほどと思いました。
完璧な設計をすると言われているポルシェ社ですが、実は901型では、試行錯誤の跡がいろいろ見られます。
901型が落ち着くのは1970年前後じゃないかと思います。
因みに、雑誌の記事によりますと1968年型の911Sに後年の2.4リッターエンジンを換装して運転していたそうです。
多分大型の米国車や英国車を運転してきた経験からボディに対するエンジンのサイズ(或いは出力)に不満があったのでしょう。
私も経験しましたが、60年代の911はエンジンの発電量が不足がちで、バッテリーがギリギリの状況となることが多かったです。そういう意味でもエンジン排気量を上げていたのかもしれません。
久しぶりに901型の写真を見て、ナローを運転したくなりました。もちろん、日本にはいい車体がほとんどないと思います。ドイツや米国と違って日本は湿気が多すぎます。
901型なら、5ナンバー枠に収まる2.0リッターの911(Oシリーズ)のSが一番好きですが、今なら、69年製2.2リッターの911S(Cシリーズ)か、911カレラRS3.0(Gシリーズ)が欲しいですね。
因みに次のHシリーズ以降順次930ボディ(1975ターボ、1978NA)に変わり、エンジン容量は3リッターオーバー、フュエル・インジェクション方式に変わります。
2020/11/28<曇>
戦前から戦後、高度成長期まで活躍した人ですが、彼を有名にしたのは戦後の進駐軍の占領下での吉田茂の右腕としての国家間交渉での活躍でしょう。
車好きの間では80才でもポルシェ911に乗っていたことがかなり有名なエピソードですね。
しかし、どんな911に乗っていたのか、正確に知っている人は少ないかもしれません。というのも、80才だとしたら、ポルシェ911もボディが既に930型に移行していました。
初期の2.0リッター(初期の細身の901型は日本では「ナロー」と呼ばれる)から3.3リッターのターボまでのいずれでもおかしくないです。
私が彼が911に寄っかかっている写真を見て、ドアミラーの形、ワイパーの取り付け位置、ライトの形を見て、なるほどと思いました。
完璧な設計をすると言われているポルシェ社ですが、実は901型では、試行錯誤の跡がいろいろ見られます。
901型が落ち着くのは1970年前後じゃないかと思います。
因みに、雑誌の記事によりますと1968年型の911Sに後年の2.4リッターエンジンを換装して運転していたそうです。
多分大型の米国車や英国車を運転してきた経験からボディに対するエンジンのサイズ(或いは出力)に不満があったのでしょう。
私も経験しましたが、60年代の911はエンジンの発電量が不足がちで、バッテリーがギリギリの状況となることが多かったです。そういう意味でもエンジン排気量を上げていたのかもしれません。
久しぶりに901型の写真を見て、ナローを運転したくなりました。もちろん、日本にはいい車体がほとんどないと思います。ドイツや米国と違って日本は湿気が多すぎます。
901型なら、5ナンバー枠に収まる2.0リッターの911(Oシリーズ)のSが一番好きですが、今なら、69年製2.2リッターの911S(Cシリーズ)か、911カレラRS3.0(Gシリーズ)が欲しいですね。
因みに次のHシリーズ以降順次930ボディ(1975ターボ、1978NA)に変わり、エンジン容量は3リッターオーバー、フュエル・インジェクション方式に変わります。
2020/11/28<曇>