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「サーカス」の本部はどこか?<ケンブリッジ・サーカスの真実> [本棚]

昨日の続きとなります。

ジャン・ル・カレは若い頃実際に英国諜報部(秘密情報部)のために働いていました。

彼の経験が著作として結実したのが、『寒い国から帰ってきたスパイ』(1963)等のスパイシリーズです。

昨日も、そして以前も書きましたが、英国秘密情報部(SIS、通称MI6)の現本部「ヴォクソール・クロス」は映画007シリーズでも描かれている実際の建物です。

では、ル・カレが描いたMI6の本部「サーカス」はどこにあったのでしょうか?

新しい物から歴史を遡ると、最近の本部は前述の「ヴォクソール・クロス」で、1994年に正式に(女王陛下によって)開所が宣言された。以来SISの本部である。
(最近の007では何度も本部として描かれている。)

その前は1964年から「センチュリー・ハウス」に本部が置かれていました。つまり、冷戦期を通じて、このロケーションが対ソ・対共産圏作戦の最前線でした。しかし、秘密情報部の本部として最重要機密のはずが、町中のタクシーの運転手ですら場所を知っているという笑えない秘密本部でした。
(007ではいつも内部しか描かれないので、ロケーションやビルの外観がはっきりしていません。)

その前は1924年から1964年までは「54ブロードウェイ」に本部が置かれていました。このビルには「ミニマックス消火器社」の看板が掲げられていた。世界中に消火器を売っていた敏腕営業マンたちが実は世界紛争の火消し役だったということでしょうか。

私はずっとSIS(MI6)の工作員(スパイ)の仮の姿が消火器のセールスマンだと信じていたのですが、既に1964年以降はそうではなかったのかもしれません。
(007は時々名刺を出して、自分が「国際貿易社」の営業マンだと自己紹介していたので、それが最近の「仮の姿」だったのかもしれません。)

こうしてみると、実は一度もケンブリッジ・サーカスに本部が置かれたことがないこととなります。実際に秘密情報部の一員として活躍したル・カレ(本名:ディビッド・コーンウェル)は知っていて別のロケーションをわざと示したのか、本当の本部がケンブリッジ・サーカスにあって、「54ブロードウェイ」は表向きのダミーだったのか。

なぜ、こんなことを言うのかと問われれば、例えば007の生みの親イアン・フレミングは小説にMI6を1953年から登場させているが、英国政府が公式にMI6の存在を認めたのが、1994年の「The Intelligence Services Act 1994」が制定された際であり、1909年の発足から85年も存在を隠し続けたのである。

2020/05/26<晴>
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