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どうして2月末に閏日があるの?<今日は閏日> [研究日誌]

「暦を決めることができる」ことはすなわち権力を掌握したことを意味します。

戦国時代でいえば織田信長が暦を決める権限を朝廷から奪取したと読んだ記憶があります。

西洋では季節と暦のずれが激しくなって農業に支障が出ていたため、時の権力者が紀元前46年に暦を改めたとあります。これがローマ帝国の支配者(当時は「共和国の第一人者」と自称)となったユリウス・カエサル(bc100~bc44)が制定したユリウス暦。4年に1度閏日を設けた。

驚くべきは、制定から1600年もの間、ユリウス暦はそのまま使用されていました。

次に暦を見直して制定したのはローマ教皇グレゴリウス13世(1502~1585)で1582年に制定されたのが、現在も使用されているグレゴリウス暦です。400年に97回閏日を設けることとなっています。

以前も書きましたが、4年に1度閏日を設けるが、その年が100で割り切れる場合は閏日は設けないこととなっています。これだと400年に96回閏日を設けないと合いません。実はもう一つのルールがあって、400年に1度(その年が400で割り切れる場合)は閏日を設けます。

西暦2000年問題(所謂「Y2K」=ワイツーケイ)が世の中を騒がせた時、多くのシステムが年末を無事に乗り切ったが、郵政のシステムが400年に1回ルールを失念して一部のATMが2月29日に止まった事件がありましたね。システム的に2月28日の次の日が何日なのが判断できなかったようです。

因みに、グレゴリウス13世は、日本からの天正遣欧使節を接見したことで日本と縁があります。この使節は、天正10(1582)年、九州のキリシタン大名(大村純忠、大友宗麟、有馬晴信の3大名)がローマ教皇謁見のために派遣した少年使節。宣教師ワリニャーノの勧めにより送り出されたのは、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの4人で8年後の天正18(1590)年に帰国。

ところで、どうして閏日が2月の末に設けられるか、ご存知でしょうか。

ローマの暦は当初10か月で構成され、後に2か月が追加されました。一年の最初の月は現在の月名でいうと三月で、十二月の後に一月と二月が追加されたのです。そのため、どこかに一日追加するとなると最後に追加された二月の一番最後に付け足すこととなったわけです。

これも「因みに」話ですが、ローマの元老院の会期が始まるのは三月(ローマでは実質的に1月)です。ユリウス・カエサルはこれに出席するために議場入りした時に共和政護持者に囲まれて暗殺されたと言われています。この日が三月十五日(the Ides of March)で、西洋の歴史では三月十五日と言えばカエサルが暗殺された日として認識されていますし、西洋史の変換点の一つと扱われています。

2020/02/29<曇>
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