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漢字が微妙<千葉開府> [研究日誌]

千葉駅に行くことがあって、駅前のポスターが気になりました。

chiba1126.JPG
「千葉開府890」と書いてあります。

単純に「千葉に街ができてから890年も経つのか?!」と理解すればよいのですが、疑問を持つと「あれ?千葉開府って本当に1126年だったの?」と調べたくなります。

まず、街が作られ始めたのは1126年で間違いないようです。千葉氏の祖と言われる常重(つねしげ)が天治元年(1124年)叔父の相馬常晴から下総国相馬郡の郡司を譲られ、2年後の大治元年(1126年)に死去した父・常兼より同国千葉郡を継承して両郡を支配し、同年6月1日に千葉に本拠を移したとされる。これが千葉氏と千葉の街の始まりと言われています。

さて、千葉は下総の国の国府だったことはありますか?歴史的には下総の国の国府(今でいう県庁)は市川市の国府台(こうのだい)に置かれました。地名からして国府のあった場所といえます。

例えば、武蔵府中(武蔵国の国府)や広島の備後府中(備後の国の国府)はそれぞれの国の国府が置かれた場所と言われています。

千葉は国府ではなかったとなります。

因みにデジタル大辞泉の「開府」の項目では、1.幕府を開くこと。特に江戸に幕府が置かれ、そこに町が開かれたことにいう。「江戸開府」。2.中国で、役所を設置して役人を配属すること。丞相・大司馬・御史大夫の三公に許され、のちには将軍にも許されるようになった制度。(3.は省略)

千葉には幕府が開かれたわけではないから、まず1番の意味での開府は当てはまらない。

では、2番はどうかというと、役所(=国府)を設置して役人を配属することとなっていて、これには中央政府が役所を設置する必要があるので、千葉氏が自分たちの勢力の中心、或いは城を設けたから開府とは言えないでしょう。

もし中国の制度に倣って、役所を設置したと言いたくても、千葉郡の郡司ではその権限はないということになる。

「町開き」という表現では弱かったのでしょう。だから2字の漢字でそれらしい表現となる「開府」としたのだろう。

この記事は、千葉市のイベントを批判するものでもなく、ポスターが間違っていると主張したいわけでもない。ただ、疑問に思ったことを調べた結果にすぎません。

2016/06/06<曇>
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