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ローマ法王が決めたこと<閏日> [研究日誌]

閏日は権威のある天文学者が決めたことではないのです。それをご存知の方は多いと思います。

では、誰が決めたのか?本名、ウーゴ・ブオンコンパーニ(Ugo Buoncompagni)、教皇名グレゴリウス13世。教皇、つまり、ローマ法王が決めたのです。

この閏日のある暦は、グレゴリオ暦(伊: Calendario gregoriano)と呼ばれ、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦法。

ユリウス暦は、こちらはご存知ユリウス・カエサルが制定した暦。紀元前45年1月1日から使用されているため、グレゴリオ暦が制定されるまで、1530年余り使用されてきた。そのため、実際の季節と暦のずれが大きくなり、修正が必要となっていた。

そこでグレゴリウス13世はこのズレを修正するため、暦を制定した。これが現在も多くの国で「太陽暦」として使用されています。一部には太陰暦を使用している国・地域があるため、全世界とは言い切れない。

日本では明治5年(1872年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。

ところで、ローマ教皇が決めたのだから、さぞやすぐに普及して、世界はグレゴリオ暦に変わったと思いきや、実は350年かけて、現在の普及度合いとなったようです。

ドイツのプロテスタント地域では1700年まで採用しませんでした。つまり、ほとんど隣の国なのに、120年ほどかかっています。

イギリスはそれから約50年後の1752年。英国の植民地も同じ年。

スウェーデンは翌年の1753年。

日本は1872年、韓国は1896年、中華民国は1912年、ギリシャは1923年、トルコは1925年(トルコ革命の政策の一つ)。

欧州は18世紀、アジアは実に20世紀になってようやく普及した。

2016/02/29<雨後曇>
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