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大物官僚死去<父の友の死> [oz日記]

遅くまで灯りの消えない霞が関でも、本当にいつまでも灯りが消えないと言われたのは通産省の畠山襄(はたけやま・のぼる)氏の部屋でした。

通商産業〈現経済産業〉審議官から日本貿易振興会(ジェトロ)に転じ、同会〈現日本貿易振興機構〉の理事長となりました。

父の3年先輩で、若い頃はジェトロのシカゴ事務所次長として米国で勤務していて、当時シカゴ勤務していた父と付き合いがありました。

我が家にもよく来ていました。(当時のエピソードは書けません。官僚らしい行動を今でも覚えています。笑)

母に「畠山さん、亡くなったらしいよ」と伝えたら、「そうなの」とちょっと寂しそうでした。「そういえば、同い年のお子さんはどうしているかしら」と私の同級生のことが気になったようでした。私はすっかり忘れていましたが…。

1960年代から70年代のシカゴの大変さを記憶している人がどんどん減っていますので、あの時代の苦労を語り継ぐ人はもうほとんど残っていません。

2021/03/21<曇>
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